前回書いた、3/4の「山羊座土星期間で押さえておきたい一つのこと」講座中に、AI(人工知能)の話題になりました。
そのうちAIが発達して、占いもするんじゃないか?どうですか?というビット先生からの問いかけに、しばらくその場の出席者一同で話していたのですが。
私はAIに対する知識がまったくなく、「AIとは何か、現時点でどれくらいのことができるのか」さっぱりわかってなかったんですが、そんな状態であれこれ言っちゃったわー、と汗顔の至りです。
出席してた方すみません・・・。
ロボットにAI搭載したらアンドロイドになるのかなー、とか、SFみたいな観点でしか考えられない人間なもので・・・(それも昭和のアニメやライトノベル的なジュブナイルレベル。ダーティペアとか・・・。いわゆる正当派SFのハヤカワ文庫は「大人の男性が読むもの」って感じで難解そうで手が出ませんでしたー)。

子どものころ、観光地のゲームセンターとかお土産屋さんの片隅とかで「コンピューター占い」の機械をを見た覚えがあります。
ホロスコープや四柱推命・算名学などのいわゆる命術は基本計算ですし、出てきた1個1個の要素を組み合わせて占い結果を出すことはできるのでしょう。
しかしそれを個人の状況(年令、環境、質問の種類、性格等)に合わせて、言葉の表現(伝え方)を変えることはできるのだろうか?
いや、それもあらゆる可能性と組み合わせをあらかじめデータとして入力しておけば可能なのだろうか。
鑑定結果に基づいてアドバイスしたけど当人は納得してないみたいだなー、とか、あれこれ質問してるけど、ほんとに聞きたいことは別にあるんだな、みたいなことまでAIは察知しちゃうんでしょうか!?

私は占い好きで、あれこれ勉強したり講座受けたりしてますが、占いのロジックとはまた別に、対面した人に悩みを聞いてもらう、というところに占いの醍醐味があるんじゃないかと思っています。
自分でも何悩んでるかよくわかんなくて、もやもやした気持ちを抱えたまま占い師さんに会いに行って、喋って、悩みの内容を整理してもらう、という課程が大切、というか。
しかしそのやり取りの課程でさえ、進歩したAIとなら可能なのかな。

そうなるともう、「AIのなかったあの時代を再現したい!」っていうノスタルジーや、「AI全盛のこのご時世に、生身の人間にサービス受ける、ってすっごい贅沢!」って感覚に訴えるしかないのかも。
ノスタルジックで生身の人間を求める世代と、希少性に価値を見いだす世代をターゲットにして。
生身の人間に家庭教師をしてもらい、占いをしてもらい、エステマッサージをしてもらう富裕層・・・。
そして生まれた時からAIに世話してもらい、話し相手になってもらうのが当たり前だから、生身の人間に特別感のない世代も当然出てくるわけで・・・。
うーんやっぱりジュブナイルSFっぽい。
(「生身」って言葉を使うと、『銀河鉄道999』の「機械の身体」と「生身の身体」を思い出します)

講座では、出席されてた方が「まあ、AIが発展するには(今言われてるよりは)もうちょっと時間がかかるでしょうねー」と言われ、一同納得してその話題は終了しました。
AIの機能としては人間と変わらない判断ができるけど、それを現場に導入するにはお金がかかりすぎる、ってことでまだしばらく人間使うかー、って期間もありそうですね。



そんなことを考えていたら、こんな文章が。

占い師さんにもう会えないが寂しくない:ブログ「まばたきをする体」

「占いが大して当たらないけど1年に1回聞きに行く」って占いというものの概念をひっくりかえすパラダイムシフトだなー、と思いつつも、それもまたありなのかも、って思ったり。
「大して当たらない」ってはっきり書いちゃってるし、でもだからといってけなしてるわけでもなく、当たらないけど定期的に行く、ってよっぽど人間的に相性が合うとか会うと嬉しい気持ちになる占い師なのかな、と思いきや、「もう会えなくてもさほど悲しくない」(でも旅行で行くことがあれば行ってもいいかなー、なので、嫌ってるわけでもない)。

このブログを書いている古賀及子さんは、愛読してるサイト「デイリーポータルZ」の編集者さんなのですが、記事もブログもTwitterの文章もすべて、題材を切り取るセンスと言葉選びのセンスがものすごい・・・。
文章の中で述べられてる考えや視点に、完全に同意するわけでもないんだけど、そういうこともありかな、とストレスなく納得してしまう、ようで妙に好きなのです。
全体に文章がわかりやすく、すぱっと短く終わるのもかっこいい。
鳳閣星とかお持ちなのかなー。